理事長からのご挨拶
十全総合病院は、初代院長故松尾正三が昭和31年3月新居浜市西原町に医院を開業したことに始まります。その後昭和38年に現在地へ移転し、100床の十全病院となり、昭和44年財団法人積善会十全総合病院へと発展いたしました。
財団名の積善は易経に説く「積善の家には必ず余慶あり」から引用させて戴き、病や怪我で困った方々へ分け隔てなく常に出来うる最善を尽す事をモットーに医療を継承しています。当市には無い市民病院の役を担うべく長年に渉り救急病院として市民の皆様に安心を提供したいと頑張っているところです。
財団には昭和47年看護専門学校を併設し、また昭和54年に理学療法士、作業療法士、言語療法士を養成する愛媛十全医療学院を開校し、医療者の育成を通じて地域貢献を目指しております。現在当院を含め地方病院は医師不足の大波を被っていますが、職員一丸となり持てる力の限りを尽くしています。皆様のご支援を期待すると共に一緒に地域医療に貢献していただける仲間を求めています。
院長からのご挨拶
平成28年10月より十全総合病院の院長を拝命いたしました脳神経外科の中村寿です。院長就任に当たりご挨拶を申し上げます。
今年は当院の前身である松尾医院が開院して60年、十全総合病院になって47年目になります。十全総合病院は約半世紀にわたってこの地域の救急医療に尽力してきました。
私が専門にしている脳神経外科は頭部外傷や脳卒中など救急医療の対象になる傷病が多く、私が赴任する以前から当院は新居浜のみならず西条から宇摩圏域にかけての脳神経外科救急の中核的役割を果たしていました。私が十全総合病院に初めて赴任したのは平成2年9月でした。以来25年間にわたり私自身もこの地域の脳神経外科医療に携わってきました。
ところが、平成16年から始まった新臨床研修制度のあおりを受け、地方から若い医師がどんどん減っていくという異常事態が起こります。さらに脳神経外科では病院勤務で救急医療などに従事できる実働人員が徐々に少なくなるという深刻な問題が発生してきました。当院脳神経外科も元々3人体制だったのですが、平成15年に一人減となり、とうとう1年前にはそれまで異動の話がなかった私も医局人事で異動になり、昨年9月から脳神経外科常勤医がいなくなるという状況になりました。
私は永年勤務しておりましたので、定期受診の外来患者さんが少なからずおられました。このため、異動先の済生会松山病院のご了解をいただき週1日だけの外来診療を続けさせていただいておりましたが、外来診療でできることには限りがあります。結果的に当院が地域医療に貢献できる幅が狭くなってしまいました。そのことを強く憂慮された松尾嘉禮理事長から再三にわたって当院への復帰を要請され、私はいろいろ悩んだ末、この9月から1年ぶりに常勤医として戻ってきました。
脳神経外科の一人常勤医としてできることには限りがありますし、当院に多大な貢献をしてこられた古林院長の後任として院長職を拝命することになり、本当に皆さんのお役に立つ仕事ができるのか心配なのが今の正直な気持ちです。
高齢化が進む我が国において年々増加する医療費を削減するために国は躍起になっており、病院への締め付けはどんどん強くなってきています。その流れで、長く病院に入院しているのではなく、病気や不自由があってもそれぞれの人が住み慣れたところで生活を続けていけるようにする(もちろんそれが理想だと思います)、「ときどき入院ほぼ在宅」という方向性が打ち出されています。
ちょうど私が復帰するタイミングで当院でも、具合が悪くなって来られた方にはしっかり的確な急性期医療を提供し、早く元気になって元の生活に戻っていただけるようにするために、病棟の再編、スタッフ配置の重み付けなどを行っています。さらには在宅で医療のお手伝いが必要な方には病院から訪問看護、訪問リハビリができるようなステーションを立ち上げました。今まで以上に地域に根ざした病院として地域の方々に安心できる医療を提供できる病院にしていきたいと考えています。
健康を損ねてしまった方にとっては癒やしと安らぎを提供できるオアシスであり、在宅社会復帰への自信と勇気をつけていただける場所にしたい、患者さんにとってもここで働くスタッフにとっても世界で一番幸せな病院にしたい、というのが院長就任に当たっての私の抱負です。
どうぞよろしくお願いいたします。